善(2010.2.3)

やっべ。今日節分じゃーん。
さっきサンクスで恵方トルティーヤというエキゾチックスメルが漂うものを見つけたけど
なんか最近、恵方巻>豆まきな感じだよね。

恵方巻きは栃木県、近畿地方を中心とした風習であり、節分の夜にその年の恵方に向かい、目を閉じて一言も喋らずに、また願い事を思い浮かべながら食べきるといった習わしらしい。
まあ豆よか恵方巻きの方が販促しやすいよな。うまいし、願いが叶うっていう魅力も強いし。
後始末が面倒で恋愛に関する要素のない豆まき。バレンタインデーという2月のビッグイベントの影に覆われて風化するのは時間の問題かもしれん。



さて話は変わるが、最近どうにも大和芋が食いたくて食いたくて、今日の夜は特に食いたくて、でも夜中はスーパー閉まってるしコンビニには売ってないしで諦めてさっき弁当を食ったんです。
そんで弁当食いながら、食いたいものが食えない人だっているんだしなってなんとなく考えてたわけです。


そこでふと思った。そう考える事とそれを食いきる事ってイコールで結ばれないんじゃないか。
そんな事考えながらもしっかり弁当食って、満腹感と謎の達成感。こりゃただの自己満足だ。


さらにそこでは「自分は食える側」の豪華な箱の中にいる事実すらなかなか認識には至らない。
食いたいものを食おうが食うまいが、はたまた一口かじって「まずい!」で捨てようが、食えない人々には何の関係もない。
むしろそんな自己満足で彼らに対し善行を働いたつもりなら、それは逆効果だと言える。


mixiのコミュニティで、ハイチに千羽鶴を送ろうといったプロジェクトがある。
この件は2chからの総スカンを食らっている。
それもそのはず、上記の俺と同じ、むしろそれより上で実際に実物大の同情を現地に届けようってんだから。
今やまさに地獄絵図と化している現地で、命を左右する補給物資の争奪が起きている現地で、果たして千羽鶴がどう思われるだろうか。
「苦労の結晶」、それは現地ではゴミクズ以下。裕福な国からの同情という嫌がらせ。
そして調べれば分かると思うけど第二の災害まで起きる。

心からの善行も、盲目な慈善であれば時に残酷な結果を招く。
偽善だろうが善だろうが、結果何か役に立つならどっちでも良いんじゃないかと俺は思ってたんだが、押し付けの善行は偽善よりもたちが悪いね。気をつける必要がある。
ちなみにこの前500円募金しました。募金が一番の手だと思われる。


そしてちなみに今日は『インビクタス~負けざる者たち~』を観た。



確か『タイタンズを忘れない』も、差別撤廃後にまだ残る人種差別問題を背景とした作品だったね。
まああれはアメリカでアメフト、これは南アフリカラグビーアパルトヘイト中のお話。
しかしマンデラ大統領は偉人だなあ。感心の具合が高かった。


明日はハルヒの消失を観ようと思います。