whim(2011.2.3)

死んだと思わせて生きていた私です。すみません。
正直言ってTwitterがこんなにも世の中に浸透するとは思ってなかった。

では何が俺にブログを更新させるきっかけになったのかと申しますと、実はこれが何の変哲もないただの気まぐれなわけで。厳密に言えば何の変哲もないわけでもないんだけど、まあそれはひとまず置いておくことにする。

ブログ書くのがうまいというか、読ませる、楽しませる書き方の人は行間の使い方がうまいんだよね。俺はどうもその辺が苦手。

さっき映画を観ててエンドロール中にホワンと考えていたことがある。別に映画の内容との関連性は全くないんだけれども。

人は何にでも意味を求めたがるじゃない。それが何の意味も持たない行為であっても、時にそれが誤解から喧嘩に発展することもあるかと思う。

例えば俺がさっき観た映画は個人的な評価としてはまずまずだったんだけれども、何の意味もなく気まぐれで絶賛したとする。それこそ『ハンター×ハンター』のヒソカの如く。
そしてその後、俺の絶賛を耳にした他の誰かがその映画を鑑賞し、俺に対して率直に「つまらなかった」と告げる。
そこで俺は「あれは気まぐれで言っただけで、実際はまずまずだったよ」と告白するとしよう。

果たしてその言葉にどれだけの信憑性があるだろうか?
俺が映画好きというのは、まあ俺に近しい人なら大方は知っているはずだ。それを前提に考えると、俺の評価の訂正は第三者目線で「映画好きの面子を保つため、より批判的な評価に乗り換えている」と捉えられるのではないだろうか。
ほら、あれだしね。何事も絶賛する人より、何かと批判的に意見する人の方が通っぽいでしょ。
実際は本当に何の意味もない気まぐれ発言だったとしても、それを告げるケースが保守的なものであった場合、完全に言い繕ってるようにしか映らない。

つまりは、ヒソカに憧れてる人は嘘をつくタイミングをちゃんと考えましょうってことです。
コミュニケーションは意思の受け渡しですから、残念だけれど嘘をつく人は信用を失います。

でもヒソカのような奇人を演じたいと思ってるあなたなら、人の輪から隔離されても平気な強靭な精神をすでに持っていることでしょう。すごいと思います。俺は人との触れ合いがなければ生きていけません。

気まぐれな人間の読めない行動にはファンタジーを感じて光って映るものです。ただ我々に許される害のない気まぐれは、保守的なもの以外の意味を持たないものに限られています。
でもリンゴを指さして「これは毛虫だよ」というような嘘はただのバカなので気をつけましょう。

兎にも角にも、今回ブログを更新した理由は何のことないただの気まぐれです。