わかげのいたり(2008.9.12)

んちゃ!ハイホールです。

明日の早朝再度診察に行き、翌日からの俺の住所を判断されてきます。

さて、思ったこと。
まず、これは一応若い人のケースです。俺がまだ若いからな。


人によるが、若い人は自分口調で話したがる傾向にある場合が多い。
話を聞いた後に、「へぇそうなんだ。俺は~」と、自分の領域に持っていったり、俺の方がすごいし的な、いわゆる「オレツエー現象」だったり「知ったか」だったり。

周りに注目されたいというアピールですな。


いや別に、これが悪いと言いたいんじゃない。
言いたいのは、早い段階でそれに気づいてしまうと、周りのソレが分かってしまうという事だ。

そこでAさんとBさんに分けて例えてみる。


控えめに話を聞くAさんは、自己主張性の強いBさんの受け流し方というか、Bさんとの「話し方」が上手い。

それでいて上手く自己主張も出来る。


はたまた自己主張性のの強いBさんのような人間同士がぶつかると、会話が上手く発展しない事が多く、「ウザい」「面白くない」などの感情が沸き、自分より相手の欠点をサーチしだす。


そんな様々な会話が繰り広げられる光景を見て、タイプの違いが見えてしまうわけです。
Bさんが滑稽に見えちゃう。

そうなると、滑稽なBさんのようにはなりたくない、Aさんのような大人になりたいと思ってしまうわけです。結局優位に立ちたいという感情からね。


そんなこんなで早い段階で自分の気持ちを押し殺し、多少無理をしつつも会話を上手く繰り広げる努力をしてきました。

でも、ある日気づいた。あの選択は正解じゃあなかったんではないかと。

思い返してみると、その考えを持ち始め、慣れてきた頃から、いわゆる「ノリ」が減った。

妙に理屈に基づいて冷静にものを分析する癖がついた。会話を成り立たせるために、建前上の言葉も気づけば増えていた。
この考え方は、ある意味「自分」を消してしまうことになっていた。

これに気づいた時はショックだったなあ。自分はどちらかといえば自己主張が強いタイプの人間だったから、ある意味チャンスを逃してきたんだよね。

若いうちは自己主張が強くて当然なんだと思う。

Aさんのようなタイプは、年数を重ねて色々な経験を踏んだ上で、自然とそうなった人がなるものなんだよね。無理してなるもんじゃあない。

そんな前の俺のような感じである奴が身近に現れ、何ともいえない気持ちに浸ってたりしてます。


まぁそんだけです。